「コンテンツとは何か」と問われた人が、「物語です」と答えていて、内心「おおー」と思った。
『天気の子』という映画が公開された時、どハマりし、映画館に何度も通って観たり、パンフレットやポスターや画集や絵コンテ集まで買ってその物語の表面から裏側から作られ方までをじーっと眺める日々を送っていた。
改めて『天気の子』という物語が僕にどうして深く深く突き刺さったのかを考えてみると、元々空とか海とかの絵や写真が好きだというのもあっただろうけれどやはり主人公のある種非合理的で社会性を欠いた姿が、とても魅力的に思えたからだったんじゃ無いかと思う。
映画とはあくまで映画でしかなく、そこで描かれる描写も主張も発言も、もちろん現実社会では正しいとは限らない。それでも、時として誰に信じられなくとも貫きたいことだったり、信じていたいこと、思っていたいことをもしも例えば、自分が心の真ん中に持った時、頭の片隅に居座って何日経っても消えない時。優しく強く、背中を押してくれるものとして映画は映画として在るのだとも思える。
『天気の子』という映画が、物語が、コンテンツが僕に与えてくれたのは、社会に抗う勇気だったり、世間体を気にしない姿の美しさだったり、ただ真っ直ぐな少年少女の頃の眼差しだったりして、それらはきっと現実の世界で、人生で、僕がピンチの時やチャンスの時に背中を押してくれるはず。いやむしろ当時の僕は、背中を押して欲しくてその物語を僕の中にお守りみたいに置いておきたかったのかもしれない。
本日も落書きを読んでくださりありがとうございます。物語で溢れ返った現代社会で僕らは、どの物語を大切に持って抱えて生きていくのか、問われている。