仕事と肩書きのあべこべ

例えばデザイナーはキャッチコピーを考えちゃいけないんだろうか。そんな法律はないじゃないか。例えばエンジニアは内装のデザインを考案しちゃいけないんだろうか。ダメな理由が100個あったとしてもその全てに原理的な根拠はなさそうだ。

会社員が書いた小説よりも、小説家が書いた小説の方が優れているとは限らないし、エンジニアが描いたキャラクターがデザイナーのそれに必ず劣るとも限らない。大学生が考えたキャッチコピーが、コピーライターという職業の誰かが考えたそれと並べられてもどれを誰が書いたかもわからないなんてことも、そりゃあったりもするだろう。

コピーライターだから、見事なコピーが書けるのではなく、見事なコピーを書くからこそ、コピーライターと呼ばれるのだ。という願い。

デザイナーだから、見事なデザインが描けるのではなくて、見事なデザインをするからこそ、デザイナーであるのだと信じていたい。頼むよ。

そういう覚悟の表れとして、プロとしての自覚を宿した言葉としての、「コピーライター」であり、「デザイナー」であって欲しいと、勝手にどこかで思っている。だって、そうじゃないなら、コピーを書くのも、デザインをするのも、僭越ながら恐縮ながら、僕にやらして欲しいなと思うことっていくらでもあるんだもの。

例えば、名前は聞いたことのあるが何が凄いのかよくわからないおじさんが、これでもかって程の高級なアンティーク家具たちや絵画たちアートたちと、これでもかってくらい高給取りなデザイナーたちと一緒に作った作品があったとして、それを見て「あれ、どうしよう、感動できないぞ」って思ってしまったら、なんだかとても悲しいじゃないか。

本日も落書きを読んでくださりありがとうございます。あれ、最初は、職業を絞らないからこそ色んなことにチャレンジできるってこともあるんだよなって思って書き始めたのにな。けれどこの気持ち達も確かに僕の心のどこかにあったってことなんだろう。