語り継がれるオレンジジュース

選ばれるものより、選ばれないものの方がこの世界にはよっぽど多い。

沢山の何かから一つを選ぶということが当たり前になった世界で、僕らは毎日何かを選んでいて、それはつまり毎日他の何かを選んでいないということでもある。

コンビニでオレンジジュースを買ったなら、それはグレープジュースを買わなかったということでもカフェラテを選ばなかったということでもあるわけで。

なんだか一個しか選べないのは勿体無いような気がやはりする。

それもまぁ仕方ないかとやり過ごせるのは、無限に続くかのように思える「明日」ってやつのせいじゃないかと思ったりもする。

明日はグレープジュースにしよう。
明日はカフェラテにしよう。

次はこうしてみよう。
次こそは頑張ろう。

明日とか次とか、そういう実は不確かなもので、選ばなかったものたちを少しずつ選んでいく。もちろんそれでも選ばないものもあるわけだけど。

明日とか次とか、そういう未来を考えず、ないものとした際の今の選択は、きっと自ずと変わってくるのだとも思う。

別にどういう選択の仕方が正しいとか良いとか言うつもりもないし、答えはきっと何処にもない。

明日が来ないとしても選んだオレンジジュースと、明日はグレープジュースにしようと思って選んだ今日のオレンジジュースで、果たして味は変わるんだろうか。

ただもしかすると、これで最後だとして飲んだオレンジジュースのことは、そしてその味のことは、なんだかずっと色んな場面で語りたくなっちゃうかもなぁとは思う。

そうやってオレンジジュースは、語り継がれていくかもしれない。

何の話かわからなくなってきたけれど、次回があると思っての「選ぶ」と、ないと思っての「選ぶ」は、同じ「選ぶ」という言葉のふりして、どうやら全く違う性質のもののようなので、ご用心を。

本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。まぁ僕はなるべく全部試しに飲んでみたいけれど。