ずっと勝ちとか負けとか、どちらか一つとかを迫られたとき、両方をどう取るかを考えてきました。
けど結局両方とか全部は取れなくて、むしろ何も手に入らないみたいなことや、全部中途半端で終わるみたいなことばっかで。
ただ最近思うのは、それぞれの選択肢たちの真ん中らへんや、全部を選んでみたり、真ん中よりやや左寄りとか右寄りとか、そういうはっきりと名前のついてない、「分からない」を進んでいった先でどうやら、僕は言葉に出会った気がするんです。
分からない。
分からないから、表現する。
その両方なんだとか、全部なんだとか、そういうことを言いたいがために、表現したいがために、ひたすらに「分からない」の中を彷徨っていたら、言葉に出会った。
僕の暗闇の中で光っていたのは、言葉だったのかもしれない。
いや、言葉というか、書くということ、と言ったほうが合ってるかも。
書くことで、分からないものを、分からないまま、差し出せる。捕まえられる。
そしてなるべく、なるべく伝わってほしいから、丁寧に書こうとする。読みやすく、伝わりやすく、しようとする。
文章って、書くことって、人が出るなとも思います。
万人に与えられた、「分からなさ」を届ける手段であると共にそれは、時として痛いくらいに人を映す。
あー怖い怖い。
自分の文章を読んでも、人の文章を読んでも、そう思います。
本日も落書きを読んで下さりありがとうございます。分からなさを分からなさのまま伝えてみたり受け取ってみたり、「分からないね」とか、「どう思う?」とか、そういう時間の豊かさを味わうことが、僕にとっての至福です。
「分からなさ」にまつわる話満載の、インタビューして頂いた記事前編が公開中です。後編は金曜に公開される模様。
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[ 前編 ]「わからない」を受け入れて、肩肘張らずに「自分」を生きていく。|自由丁オーナー・小山将平
https://note.com/robertsmkt/n/n856d62e37061