大小に関わらず、というかそもそも大小なんてないのなもしれないが、何かを目指したり、成し遂げたり、つくったり、もしくは何かへ向かっていく時に、どんな形であれそれを先導するには旗印が必要だろうと思う。
一期一会の出会いや眼差しを、ただひと時の娯楽として消費される機会ではなく、むしろそこから共に旅する仲間へとなっていく機会とするには、一体どんな旗印を掲げて、もしくはどの輝く星を目指して歩んでいるのかがよく見えなくては難しい。
自由丁というブランドが掲げている旗印は何だろうかと思うと、すぐさま「自由」という一つの単語がまず思い浮かぶ。そりゃそうか。
ただ、自由丁の掲げる「自由」は、よく聞く、よく使われるそれとは少し違った意味を指している気がしている。
自由丁が日々思っているのは、自由になりたいとか、自由に生きるんだとか、そういう、新たに獲得したり、踏み出した先にある価値としての「自由」の話というよりは、既にここにある「自由」の話のように思える。
「歌いたければ歌えばいい。踊りたければ踊ればいい。なぜなら僕らは、生まれながらに自由なのだから。」
旅先でノートにそう書き残した24,5の少年はその時、新しい「自由」を獲得したのではなくて、ずっと持っていた「自由」の存在に気が付いただけだったのかもしれない。
本日も落書きを読んでくださりありがとうございます。誰かから、何かから獲得するために進むのではなく、それぞれがそれぞれに、すでに持っているものをもう一度見つめ直し、見つける自由を旗印に、進む。