気にならないけど好き

客観なんて言葉は
あってないようなものだ

どこまでいっても
自分は自分でしかないなら

客観視という言葉も
自己中心的という言葉だって

あってないようなものじゃないか

他人に見てもらわない限り
僕らは客観視を獲得できず

けれど限りなく他人に近しい視点を
自分の主観の中に飼うことは
養うことはできる

それのことを客観視と
世界は呼んでいるのかもしれない

果たして
主観の中の客観視と
他人の中の客観視が限りなく一致するなんてことが
一体どれくらいあるんだろうか

裏を返せば
殆ど一致するこもなく
今日も世界はこうして回り
明日も世界は始まるんじゃないか
そうなんだろう

理解し合えなくても手を繋ぎ
共感しなくとも抱き合える

わかったつもりでわかってなくても
愛し合えるし許し合える

きっと殆ど一致しないまま
きっと殆どわかり合わないまま
きっと沢山笑うし抱きしめ合うしで
世界は回っていくんだろうし
きたんだろうね

本日も落書きを読んでくださりありがとうございます。他人の視点、客観視にしても、大事にしたい視点と、気にしなくていいやと思える視点が、きっと誰しもにあって、気にしないけど好きだとか、大事にしたいけど嫌いだとか、そういうことも往々にしてしてあるのも、人の面白いところですよね。